2014.09.29 03:23

ゆぅりです。

10周年のライブ以来、増田さんの生のお姿を拝見することなく1年。ライブではなく舞台での再会。初日という大切な日を観劇してきました。

中原中也をめぐる人々の話…わたしの苦手な文学について。ということもあり、気乗りのしないまま、予習もせず舞台初日に足を運びました。

結果…

真っ白な気持ちと脳みそで出掛けたにも関わらず、舞台が進むにつれて声を殺して涙を流し、敬遠してきた文学を愛する人々の姿に心揺さぶられました。

というのも…

明治生まれの祖母と、昭和12年に戦死した祖父、一人っ子の父、末娘で文学に強い母の元に育った私は、経験こそしていませんが、戦争についての話やその時代の様子、音楽、軍歌など…小さい頃は話を聞かされて育って来たからかもしれません。

古臭いことがこんなところで化学反応を起こすとは思いもしませんでした。そして、文学より音楽。文学に熱中する人の気持ちがわからない。と思っていたことを訂正することになるとも思いもしませんでした。


素晴らしかった…

グローブ座で今まで見た舞台は10を超えます。その中でもダントツでした。劇場出てからも手が震えてて、心拍数が+30くらいだったもんね。

何が素晴らしいかって?

特にセリフ(使われている言葉もそうだけど、言葉の響き)、演技、そしてストーリー展開。要所に流れる劇伴音楽←これでは全部かな?

増田さんが事前に観劇についてのマナーや、今回の舞台に対する想いをwebや雑誌で熱く語っていたことを、舞台を観ることで知ることもできました。


続きに順不同の心のメモを少しだけ残しておきます。

今日もお越し頂きありがとうございました。





わたしが一番感動したところは、秋子がレコードに耳を当てて「こうやって聞いた音の方が…」というシーン。よしさんとレコードを挟んで音を聞くシーン。

なんて美しいんだろう…

ただただ感動するばかりでした。わたし、こういう女の子になりたい。って強く思ったよ(笑)


通して、とにかく秋子が切ない。

だって、よしさんに告白されて幸せな家庭を持てるんだけど、よしさんは中也のことを慕い続けているんだもの。性別や愛情の形こそ違うけれど、大きさで言ったらよしさんの心の中は「秋子<中也」でしょ。それを秋子は感じているんだよ。
それでも応援するときは応援するし、よしさんが中也のために何かしようとする時はその気持ちを大切にする。だから、中也のことは大嫌いっていう。それが精一杯の反抗なんだって思うと、切なすぎる…

でもね、わたしは好き。秋子が好き。もしかしなくても、こういう状況が好きなのかもしれない。自分は二番目っていう、つまり、秋子になれるって思ったの。


ヘンかな?ヘンかもね(笑)


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そして中也。

中也についてはここで書いている通り、自分の中では何も魅力を感じることができず、大人になっても触れようとしなかった人。詩集と言えば谷川俊太郎か寺山修司。わかりやすかったのか、合唱曲が作られており、音楽との接点が多かったからか。学校で習った中也は、当時のわたしには理解しがたかったのかもしれません。

今回の舞台で文学青年の語らいを知ることができました。ロマンたっぷり。考えをぶつけ合ったり、時には意気投合したり、自分たちの作品を世に出そうとしたり…そんな姿に共感しました。音楽と似てる。音楽と文学が入れ替わっても、同じような光景だもの。って…

だからかな?なんだか自然とストーリーに乗せられて引き込まれてしまったみたい。


わたしくらいの年代になると、昭和の初期よりは生活格差もなくなっているから、わたしだって音楽を学んで育つことができたけど、文学も音楽と同じように、当時はそれなりの財力があるお家のご子息子女が多かったのかな。インテリジェンスな世界って、やはり上流階級だったんだね。ってン…文学は違うって勝手に決めてたから、考えを入れ替えることができたよ。


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最後に劇伴音楽。

これについては、次回の舞台を見た後に書こうと思ってるんだ。もう一度聞いてみたいから。

一番盛り上がるところがヴェートーベンだったのがよかったのか悩んだけど、喜びの歌と称される部分だし、ひとさかり、という言葉の解釈がそうだったのかな。と…

次回、書かせて頂きます。


書きなぐり的なメモでした…


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